お た よ り 1
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私と盲導犬   ユーザー K.S
私は、1985年に最初のパートナー、ピュアと出会いました。
ピュアは目の大きな小柄でイエローのラブ。好奇心旺盛で、甘えたのおてんば娘。
こんなピュアだから歩くのも早い早い。みんなと歩く時はいつも一番前。
「ピュア、行き先わかってるの?」なんてよく言われたものです。
だから階段から落ちた事も何度かありましたが、私のコントロールが悪いと思い、痛む足をなでながら「グッドグッド」と言ってました。

 ところがピュアと歩き始めて5年を過ぎた頃から私の足が悪くなってきました。急性の「変形性股関節症」です。 病院で手術をすすめられピュアと別れる決心をしました。
 パートナーをリタイアさせるのは初めてだし、あの頃は、リタイアした盲導犬の「行き先」などあまり話題になっていなかったような気がします。
 ですから、私も訓練所の方に全てお任せする事にしました。

ピュアが訓練所に帰る日、私は泣きながらピュアのシャンプーをいつもより念入りにした。最後の食事もいつもより沢山食べさせました。訓練士さんと帰っていくピュアに「良い人に貰われてね。最後まで一緒に暮らす事が出来なくてごめんね」と言うのが精一杯でした。
ピュアがいなくなった家の中は本当に寂しくて、子供達と「ピュア、元気にしてるかなぁ。今頃何してるんやろうね」としょっちゅう言っていました。

そんなある日、訓練士さんから電話があり「ピュアはとても良い人に引き取られて元気にしている。今度ピュアの1日をテレビで放映する」と言われたので私たちはその日を待ちました。
ビデオもセットして、テレビの前で家族4人正座をしてテレビを見ました。
テレビの画面に映ったピュアは我が家にいた頃よりふっくらして、朝はご主人と公園に行き、ご主人が体操をしている間おとなしく待って、ご主人と一緒に出勤。会社ではソファーの上でお昼寝。夕方帰宅すると少し一緒にえさを食べて、散歩のあとは暖かそうな毛布にくるまっておやすみ。

このテレビを見てから、私たちはピュアの事をあまり口にしなくなりました。新しい家族に可愛がられて幸せそうにしているピュアを見てみんな安心したのでしょう。
その後私も、手術を受け、新しいパートナーと歩き始めました。  

2代目は「シルキー」といって、りっぱな体格のハンサムボーイの性格はおっとりしていて歩くのもゆっくりだし、身体が大きいので安定感があって足の悪い私にはとても良かったのです。
ところがこれがなかなかの頑固者で車が大好き。
訓練が終わって自宅に帰って来た頃、助手席に乗ってくれる彼女もいない息子は私とシルキーを車に乗せてあちこちへ連れて行ってくれました。夜、時間がある時は公園に行ってボール投げをしたりしてシルキーとよく遊んでくれました。だからシルキーは車が大好きになって私と出かける時も必ず車の所へ行くのです。
「今日はお兄ちゃんがいないから車だめ。
シルキーは運転できないでしょう」なんて言いながら歩いて行くのです。

今考えても良くわからないのですが、シルキーは道の途中でよく立ち止まって動かなくなりました。はじめの頃は「トイレかな」と思いハーネスをはずし、袋をつけて「しても良いよ」と言っても全然動きません。「トイレないの?だったら行こう」とハーネスをつけるのですが歩いてくれません。ほめたりおだてたり、シルキーの好きな人の名前を言って「○○さんが待ってるから早く行こう」と言うのですが歩く気配はありません。
仕方がないので「じゃぁ、お家へ帰ろう」と言ったとたん、さっさと家に向かって歩き出すのです。本当にわがままで頑固なパートナーでした。

阪神淡路大震災では我が家は全壊。全国の皆さんから温かい励ましをいただいた事を今も感謝しています。
その後、私たちは3回引っ越ししましたが、シルキーがいたので道に迷う事もなく生活をエンジョイする事が出来ました。
2002年の春、訓練所から「シルキーも12歳になったのでそろそろリタイアを」と話があった頃からシルキーの体調も衰えてきました。
「リタイアさせよう」と決心したものの、さて誰に見て貰おうかと迷っている時、訓練所のリタイア担当の職員さんから「シルキーが今生活しているのとほとんど変わらない(例えば家の構造、生活スタイルなど)人がいるので1週間くらいお試しで預けてみましょうか」という話があり、シルキーはさっそくSさん宅に預けられました。



シルキーはすぐに新しい生活に慣れ、Sさんのご家族にも可愛がって貰っていると聞き、私はシルキーをSさんに引き取っていただくことを決心して、シルキーが使っていたベッドや食器、おもちゃなどを送りました。そして初めてSさんと電話で話をしました。
彼女の優しい声とワンちゃんを思う温かい人柄ふれ、私は喜びで胸がいっぱいになりました。

その後、私にはパートナーのいない生活が1年3ヶ月続きました。
その間にも地域の幼稚園や小学校から講演依頼がありました。
「今、盲導犬がいませんので」とお断りしても「あなた一人でいいから来てください」なんて言われてもやはり盲導犬が傍にいないと様になりません。
私は講演する時、盲導犬の実演など決してしません。私が話をしている傍でパートナーが静かにダウンして待っている。それを見るだけで大人も子供もすごく感動してくれるのです。どうしても断ることができなかった時、Sさんに相談しました。
一時体力の衰えていたシルキーも、Sさんの手厚い介護のおかげで元気を取り戻していたので一緒に講演に行ってもらうことにしました。それと、Sさんの提案でシルキーは週に1回「セラピードッグ」の仕事もするようになりました。

デイケアセンターでお年寄りに可愛がってもらい、誰ともしゃべらなかったお年寄りが、シルキーが訪問するようになってから笑ったり話したりするようになったそうです。
この他にもSさんとシルキーと3人で楽しいお出かけもたくさんしました。
やがて私のところにも「ユーク」というおとなしくて従順なパートナーがやってきました。早速新しいパートナーをシルキーに会わせて、「この子が来たからシルキーはもうお母さんのこと心配しなくていいよ」と言いました。
シルキーもユークが来たので安心したのか少しずつ弱っていきました。
私は、ユークとSさんのお宅で泊めていただいたりして穏やかに過ごしているシルキーを見ていました。  



2005年7月31日シルキーが寝たきりになったと、リタイア担当の職員さんが知らせてくださったので彼女とSさんのお宅に行きました。シルキーは相変わらずつやつやした毛並み、大きな体、そしてあのざらざらした舌で私の手をなめるのです。きっと、ありったけの力を振り絞っていたのでしょう。
 「シルキー、もういいよ。そんなにがんばらなくてもいいよ。ありがとう、 いい思い出をたくさん残してくれてありがとう」と心の中でつぶやきました。
 
2005年8月5日午後3時、シルキーはSさんに見守られて静かに天国へ旅立ちました。知らせを聞いて私が行った時、シルキーが起き上がって足を引きずりながらそばへ来るようなそんな錯覚に陥るぐらいシルキーの体は温かく、亡くなったなんて信じられませんでした。やすらかに逝ったことがなによりでした。いつも優しい眼差しでシルキーを見守り、手厚い看護をして下さり、天寿を全うさせてくださったSさんのご家族に心から感謝しています。
 
私たちユーザーが、長年連れ添った盲導犬をリタイアさせる時には迷い悩みなかなか決心が付きません。しかし、最近ではリタイアしたワンちゃんたちを引き取って温かく見守ってくださるボランティアさんも増えてきました。
 私はワンちゃんの体が衰える前にリタイアさせるべきだと思います。ハーネスをはずして、自由に走ったり遊んだりする気力がある時にリタイアさせて、ワンちゃんたちにも余生を楽しんでもらいたいと思います。そうすることで私たちは新しいパートナーと安心して歩いていけると思います。
 私のパートナー、「ピュア」も「シルキー」も本当にすばらしい犬生だったと思います。

  たくさんの感謝を込めて!!        (完)